完全に何かをしようとするとどこかでおかしくなります。
トルストイの「人生論」の中にこんなたとえ話があります、
「粉ひきが親から粉ひきの仕方を教わり、水車を使いちゃんと粉を引くことが出来ました。
けれど、あるとき水車の構造について考えるようになると、うまく粉を引くことが出来なくなりました。」
というものです。
これは、完璧に粉ひきをしようと思った結果、失敗した好例です。

私はある時、完璧にある物事をしようと思っていましたが、その結果、自分に好ましくない結果となりました。
それ以来、完全であろうと思うことより、不完全である事をいかに自分で受け止めるのか?
このことの方が大切だと思うようになりました。

元々人間にとって、完全などというものはなかったのだと今では思っています。
ないものを得ようと以前の私はもがいていたのです。