「やればできる」
この言葉自体には、個人での努力の場合、偽りはありません。
ただ、臆病やプライドが、偽りに近いものにしているのです。

相手があるものは努力では叶いません。
例えば、好きな人がいてその人に好かれようと努力をしたとします。
(高校生の頃の私です)
けれど、一向にその人は振り向いてはくれませんでした。

けれど、例えば物理学のあの理論を理解するということであれば、どんなに難しい理論でも、時間をかければ理解が出来ます。
個人の能力というのは間違っています。
そのような事を言う人が、「やればできる」というのを偽りに近いものにしているのです。
一から理解すれば理解できるように学問は作られています。

ただこれには時間という問題が立ちはだかっています。
時間さえあれば努力で出来ても、時間がなく結局は諦めてしまうのです。

よく、「継続は力なり」とは言いますが、その継続を怠らないようにしたいものです。