モノ自体があればそれで事足りるにも関わらず、人はそれに名前をどうしても付けたがる。

「障がい者」という言葉も元々はそのような人の本能から付けられたものだろう。
時にその本能が差別を生むことになる。

もし、「障がい者」という言葉がなかったとする。
すると、ただ、目が見えないだけ、ただ、耳が聞こえないだけ、そのように人は思うのかも知れない。

何もそのような時代まで遡らなくても、意識の仕方でそのように考える事は出来るだろうと思う。

四月に施行される障害者差別解消法の合理的配慮は行政機関、企業が行うものであって、「個人」が行うものではない。
だが、実際は、それらも「個人」がある事で成り立っている。
個人の意識も変える必要があるのかも知れない。

個人の意識が変わった時が、差別が解消された時でしょう。