選択とさだめ

私たちは何かを選択しながら生きています。
けれど、選択が出来るものは自分で受け入れられても、出来ないものを受け入れるのは簡単ではありません。

今日何かを食べたいと選択することは出来ます。
そうして、自分が食べたいものを食べる事が出来ます。

けれど、私は精神障がいを選択をしたわけでもないのになりました。
それを受け入れろと言われても受け入れる事は出来ませんでした。

「理由もわからずに、押し付けられたものをおとなしく受け取って、理由もわからずに生きてゆくのが、我々生き物の運命だ。」

これは中島敦の山月記の一節ですが、運命(さだめ)だと言われても精神障がいを受け入れるには自身との葛藤がいります。
その葛藤を乗り越えた時が、自身の精神障がいを認識が出来た時なのかも知れません。

この認識が出来なくては、精神障がいにより起こる異変を自分で把握することも出来ないでしょう。
けれど、認識が出来ていれば、精神障がいにならない方法を選択することも出来るのかも知れません。

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